共同墓地と弔堂

共同墓地

明治40年3月まで菟原下の墓地は上ガ山の山筋一帯に散在したり、馬場、寺段地区に分散してありました。政令によって民家より300メートル以上離れた処に共同墓地作るように決められると、上ガ山の所有を2名から譲り受けて区民出役によって墓地が作られました。

弔堂

弔堂

弔堂

地域の方言によるものか、「とむらい」と発音するのが正式だが「ともらいどう」とも聞こえます。墓地は山裾に村を見下ろすようにあり、墓に参るには急な坂を登る必要があります。弔堂は坂を少し登ったところにあり、訪れると年中変わらず湿度の高いじめっとしたものを感じます。弔堂まで坂の中腹にいくつかの地蔵が置かれていましたが、盗難にあったのか平成20年の頃には見かけなくなりました。

この弔堂は辻のお堂を移転して作り、昭和50年に瓦屋根に改修されました。柏田の墓地も同じ時期に出来ています。

墓まで至る道は今でこそ、コンクリートによる舗装がなされていますが、昔は、土のままで雨の日は転ぶ人が多くありました。もちろん階段などなく、ただの坂だったために今でも墓が山の上方にある家は大変な事に変わりありません。

現代は火葬が中心になり、弔堂が使われる事がなくなりました。弔堂には棺桶を運ぶ神輿のようなものがしまわれています。昔は数人で死者を運び、また葬式そのものが地域を巻き込んだ盛大なものでした。

足掛け地蔵

墓に至るまでに、足かけ地蔵が祀ってあった。古くからあり、彫像も立派なものでしたが、盗難に遭い今は面影もありません。


公開日:2014/11/23 | 更新日:2015/05/24 | Posted in 京都丹波の事, 行事・文化・地方の事 | tasogaretombo 

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