菟原小学校の廃校に寄せて|福知山市

菟原小学校廃校に寄せて

社会に出てから何が大事かと言うと、やはり健康であるというのは常々思う。賢さも重要だけれど、体がついて来ないと意味が無い。これは年を重ねると常々感じる。今でも時間に余裕があればジョギングをして体を動かしている。特に何かを求めるわけでも無いのだが、気分がスッキリとする。この習慣は、やはり小学校で培ったものが大きかったと今でも思う。
僕が通っていた頃の菟原小学校の校舎は、まだ六角校舎で、中央に階段があって円を描くように教室や図書室・理科室などが並んでいた。円を描いているので、教室の声も良く響く賑やかな学校だった。窓から光が差し込む教室、差し込まない教室があって、音楽室や図書室は薄暗かった。そのせいか夜に動くベートーベンの肖像画、コックリさんの遊びや怪談話など多感な時期にぴったりの校舎だった。
朝、学校に着くとランドセルを教室に置き、我先にと僕たちは校庭のまわりをぐるぐると走った。中野先生という元気なマラソン好きの先生が児童をひっぱって、皆で地球1周4万キロを走ろうということになっていた。走れば走るほどグラフが伸びていき、自分たちがリレーをしながら地球1周を走っているのが目に見えてよくわかった。道徳の授業で裸足の王者アベベの話に感心すると、裸足で校庭を走る子も続出した。特に走るのが好きでも無く、競争が好きでもない子にとっても、皆で目指す地球一周4万キロという壮大な夢はインパクトがあった。夢中になって走った。いよいよ4万キロが見えてくると、距離を稼ぐために短い休み時間でも校庭に向かった。当時の菟原小学校は外から見ても賑やかなものだったと思う。朝、昼、夕方、見れば誰かが夢中になって走っていたのだ。今でも校庭を走っていたときの事は思い出せる。体が軽く、ビュンビュン風を切って走った感覚は、奇妙な形の六角校舎の思い出と共に体に染みつき、人生の糧になっている。

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