町からガソリンスタンドが無くなって1ヶ月

最後のガソリンスタンドが無くなって

ガソリンスタンドが町から消える

大きな議論にもならず、少しざわついた程度

昨年末、この小さな町にとって一番大きな出来事と言えば、町からガソリンスタンドが無くなる事だった。そう言いたい所だが、半分くらいの人が騒ぎ、半分くらいの人が「へ~そうなん」と、まあ仕方ないという構えだった。それもそのはずで、日中半分以上の人がこの町にはおらず、外に働きに出ている。町外でガソリンを調達すれば問題ないのだ。地域の新聞や地方欄に取り上げられた程度で、この問題は大きな議論にもならずにガソリンスタンド閉店後1ヶ月が経った。

ガソリンに対する習慣が変わる

個人的には家から最寄りのガソリンスタンドまで、信号無しの距離を車で20分になった。実は地域最後のガソリンスタンドまで車で7分ほど掛かっていたので、およそ倍強くらいの時間が掛かるようになってしまった。これは結構な時間ロスでもあるので、車のメーターを監視しつつ、以前なら減ったなという感覚を持つまで我慢していたのを、町外に出たタイミングでこまめに入れるようにした。これがあまり燃費の良い行為で無いのはわかるが、ガソリンの為だけに20分車を走らせるよりはマシだと考えるようになった。あともう一つ、20ℓのガソリン携行缶(ステンレス製)を用意するようにした。これがあると助かるというわけでは無く、精神的な面で非常に楽になった。もし仮に災害時にもなんとかなる。これが早速便利な事もあった。車検の際の代車を返す際に、この携行缶に用意していたガソリンを入れて返す事にしたのだ。事前に対策を取る。この習慣でなんとかなるものだなと思った。

一番大きな問題は

じゃあ何が問題だと言うと、ガソリンスタンドが無くなって一番大きな問題は、この町が過疎の方向しか無くなったことだと思う。そうで無くてもいろいろ問題を抱えている。保育園と小学校が中学校のある場所に一つに統合され、一貫教育になる。これは何を意味するかというと、通学する姿が無くなるので地域でさらに子供を見なくなる。子供の姿を見なくなった地域はかなりさみしいものだ。バスをはじめとする公共的なものをどんどん打ち切られていく。生活の一つをあげても難視聴地域でもあるので、新たにこの地に来る人は10万ほど出して工事してもらわなければテレビも見れないということになった。もちろん月の固定費は必要。福知山市の施策の失敗が原因でもあるのだが、難視聴地域でもあるので、ある一定以上の意見は届かない。(NHKさんもこういった地域は視聴料まけて欲しいものだ、公共放送でも何もしなければ見ることは適わない。)こういった無い・無いにガソリンスタンドも加わったということが問題なのだ。
 無い・無いをあげるとキリが無い。ガソリンスタンドの問題が起こった後に、地域で最後の食料品店(スーパー)の閉店が決まった。

それでも希望はある

先日ふと市内で話した女性が、僕の住み地域から市内に働きにきているという事を聞いた。見かけた事無い方だなと思って話していれば、福知山市三和町が気に入って越してきたのだという。20代に見える女性で、福知山市に住んで数年、三和町に越してきて2年目だという。福知山市の旧三町と言われる、夜久野町、大江町に住んでみて三和町が一番気に入ったのだという。聞いてみると、何も無いところが良いらしい。こんな良いところはなかなか無いらしい。物事は考え方だ。同じ環境でも幸せだと感じる人と不幸だと感じる人がいる。ガソリンスタンドが無いから不便なのか、スーパーマーケットが無いから不便なのか。実はそこが問題ではないのかもしれない。

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